夫も私が本当に必要な年に

他人にはいつも細かな気配りをする人でも、家の中で妻に対しては我儲が出るらしい。その一つの例を話してくれた。彼女が夫の背広をグPI--γグに出すとそのときに限って、その背広をどうしても着たい、とグズグズ文句を言うのだそうである。そんな彼をいやだと思うけど、私は彼を愛しているのだし、彼だってそのときは、私に何となく当たっているだけで、私への愛が薄らいだわけではないので、耳をふさいだ気持ちでいるのだと話してくれた。「外国で暮らすのは、私にも只トレスがかかるけれど、仕事をしている夫は、もっとストレスが多いはず:::。できるだけ、リラック九させてあげたいから喧嘩にならないように知らん顔しているの」私も夫がカナダで駐在員をしているときの経験があるが、私自身も九トレスがあっただけに、夫の大変さをこんな気持ちで分かってあげることができなかった、と彼女の話を聞きながら反省した。またイラクの友人が言った。「娘たちが大学生の年になって、私たち夫婦も中年を過ぎると、子供たちの世話に追われていたときと違って、私には、若いときよりも夫が必要だし、夫も私が本当に必要な年になったとしみじみ思います」彼女たちの話を聞きながら「最も愛し、最も必要な人は夫」と他人にも言い、そして「夫にも私が必要なのです」と言い切れる生活を私はしているだろうかと、もう一度考え、そう一雪?える毎日の暮らし方をしなければと思った。デンマグの友人は、夫とは、小学校からの同級生で、十六歳のとき、彼が未来の夢を諮り、「僕の夢を実現するために一緒に歩んでくれないか」と言われ、それ以来二人でそれぞれの生き方を助け合って来ている。あるときは、夫と共に、アフリカの奥地に入りこんだ。そしてそこで子供を生んだこともある。彼女が看護婦であるために、ある時期は彼女の収入が家を支えたこともあるし、それが夫の仕事に大きな助けになったこともある。これからもしばらくは、デγマーグに落ち着いて住めないと覚悟している。「私たちは、愛に結ぼれているというより、お互いになしではいられない夫婦なのね」と言いながら、彼女は夫が出張先で買ってきたブラウスをうれしそうに私に見せてくれた。あるとき私は、そんな友人たちに聞いた。「欧米の人たちは、夫婦で甘い言葉を交わしているけれど、夫婦の聞でトラブルはないの」途端に、外国の友人たちは一斉に言った。「夫婦はどこでも同じ。いろいろな事件が二人の聞に起こらない夫婦はいません。